九十九里浜の智恵子抄詩碑について
詩人であり、彫刻家として著名な高村光太郎は、妻智恵子の病に悩み昭和九年五月より十二月迄の約八か月をこの地九十九里町真亀納屋の実妹斉藤せつ夫妻の寓居「田村別荘」に天地療養させ、毎週東京から必ず見舞ったという。
光太郎の絶唱「千鳥と遊ぶ智恵子」「風に乗る智恵子」随筆九十九里浜の初夏に克明に描かれている。昭和三十六年地元の俳句会より詩碑建立運動が起こり、さらに町ぐるみの運動に発展し、沢山の方々の浄財を得て同年七月十五日に除幕された。
この建立に高村家と光太郎記念会から一切を任された詩人の草野心平は、千鳥と遊ぶ智恵子を砂丘に再現し、そこから九十九里浜が一望できるように碑を配置するという画期的な構成を試みたのがこの詩碑の特徴である。
北田